11月3日加納莞蕾

みなさんは、加納莞蕾(かのうかんらい)と言う人物をご存知でしょうか?

おそらくご存知無い方ばかりだと思います。

加納莞蕾は、フィリピンの第二次世界大戦後の二代目大統領であるエルピディオ・キリノキリスト教会など多方面に嘆願書を送りBC級戦犯の105名全員の釈放及び減刑という恩赦を得ることに尽力した人です。画家で、従軍画家として中国にも出兵していたようです。復員後 島根県安来市の山間地である布部 ふべで村長となり布部村平和五宣言を発表した。また、世界児童憲章の制定を訴え続けた。

この戦後日本戦犯の恩赦嘆願書を和訳し、一冊の本となったそうで、今日、安来市の布部で記念公演が開かれ参加してきました。

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加納莞蕾の弟さんが、加納美術館として布部の地に美術館を開館され現在お孫さんにあたる方が館長をされています。また、今日は講師として市立広島大学からも歴史的研究者が加納莞蕾の足跡を発言されていました。

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のちに、恩赦を決断したフィリピンの当時の大統領であるキリノ氏が国賓として日本を訪れた際に滞在した帝国ホテルに加納氏は押しかけ面会した写真であるそうです。

キリノ大統領が、加納氏の嘆願書により恩赦が発せられたかについては、確証がないものの影響を受けたであろう事が想定できる状況であったようです。

講演された市立広島大学の方と講演後に少しお話ししましたが、キリノ氏は、米国の支配的状況にあるフィリピンの二代目大統領として、当時資本主義国と社会主義国の対立構造の中で、日本との関係を取り込んでおく必要から恩赦を出した面もあると思われる事。加納氏も戦中は、皇民化教育を受けて軍事加担していた。が、キリノ氏始め嘆願書を送り続け、恩赦を得る中で日本の戦後責任や軍事力に依らない姿勢の維持や平和を希求し続ける事。また、民主主義の必要性や国際的視野に立つ事などたくさんのことに気付き強い信念を持ったようです。

地方の山間地である布部でさえ、世界的視野や民主主義的自治の必要性。非軍事的解決の試行など現在の私たちにとって学ぶべきことが山盛りであった。しかし、会全体としては、こんなにすごい人が地元から出たんだ!というヒーロー的賛美に偏り、現在の私たちが今差し迫っているウクライナパレスチナの問題に切り込み意思表示することなく終わった。

加納莞蕾が、人生を賭して生きるべきことを半生をかけてやったことは、まさに今私たちが直面するこの状況に黙することではない!という事であった。

非常に沢山の参加者で、山間地の加納美術館横の布部公民館は埋まった。が、加納莞蕾が求めて行動した半生が生かされていないと感じた。

が、この講演会や出版された書籍により、私たち日本が過去に犯してしまった誤りにも恩赦で再起を許してくれた東南アジアの各国の市民に報いる行動の契機となるよう、私自身も発信すべきだと思った。