フランシスコ教皇

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2019年11月来日されたフランシスコ教皇

 

私は、かなりの無神論者である事を先にご案内して本題に入ります。

あるデジタルコンテンツを読んでいて、とても気になっています。

 

みなさんは、よく自分を見つめ直す

ということを話されていませんか?

 

私もよくやっているな‥と思います。

今もそうなのですが、思考パターンが自分に向かっている事に今更気づきました。

 

フランシスコ教皇が来日された間に8回のスピーチをされたそうですが、そのお話の中にゾンビ化の話が出てきます。ずいぶん聡明な方のようで、現代のキーワードを折り込みわかりやすくお話しされたそうです。

 

ゾンビ化

それは私たち日本人は、世界でも有数の自分優先の国で 貧しい人に手を差し伸べ助けるとかボランティアや助け合う事の少ない国となっているようです。

自分だけが良ければそれで良く他人との関わりを持とうとしない、また浅い付き合いに留める。他者との関係性に於いて初めて名前や顔が意味を持つのであって、ただ一人であれば顔も名前も意味をなさない。心臓も鼓動しているのかわからないように孤独に入り込む私たち日本人の傾向をゾンビ化と揶揄されているようでした。

私自身も、思考世界は地球規模のつもりですが、内向きな‥孤独な世界に入り込んでいるような気がします。

仕事や煩わしさから他者との関係性を減らし、内向きな自身への思考パターンに入り込んでいたかもしれないな‥と思います。


人やコミュニティ、そして全社会が、表面上は発展していたとしても、内側では、疲弊し、本物の命や生きる力を失い、中身の空っぽな人形のようになっている。(中略)笑い方を忘れた人、遊ぶことのない人、不思議さも驚きも感じない人がいる。まるでゾンビのようで、彼らの心臓は鼓動を止めている。なぜならそれは、誰かと人生を祝い合うことができないからだ。

 

と話されています。

 

私が最も心動かされたのは

 

それはつまり、私たちにとって最も大切なことは、何を持っているか、何を得られるか、ではなく、誰と(人生を)共有できるかということなのだということに気づくことだ。「何のために生きるのか」ではなく、「誰のために生きるのか」にフォーカスすべきなのだ。自分に問いなさい。「私は何のために生きるのか」ではなく、「誰のために生きるのか」「私は誰と人生を共有するのか」を。

 

今改めて  みなさんと人生を共有し心ある方たちの為に生きたいと思いました。

 そして心豊かに生きていきたいと願うばかりです。