新年早々 またまた重いテーマになってしまいました。
何を不安解消したのか‥‥
それは 死
以前から恐怖を感じることのひとつに死がありました。死んでしまうとその先は何もできない その死と直面するときに生きることとの決別をしなければいけない もう愛する人に会えない 苦しみや恐れなどありとあらゆるマイナスの要素が出てくる 死 それが怖くて不安で仕方ありませんでした。しかし今の福祉の仕事をやり始めて何年か経った時 たくさんの死を見てきた結果
ただ自分が存在しなくなるだけなのだと気付きました。苦しみさえ消え去る。
実は苦しみや悲しみからの解放だと気づき一度は恐怖が消え去りました。
しかし皆さんはALSという病気をご存知ですか?筋萎縮性側索硬化症 だんだんと筋肉が動かなくなる難病で未だに根本治療法が無い病気です。仕事でこの病気と向き合うことになるのですが、やがてくる医療の全てを尽くしても何もできないけど感覚が残り何も意思を伝えられないブラックアウトの状態を迎えることになります。そして死。早く死を選ぶこともできなくないのですが気管切開をして人工呼吸器をつけるかどうかが岐路になります。この病気が僕はまだ受け入れ出来ず死に対して恐怖心が高まります。
先日NHKでこの病気に似た病気の女性がスイスに行き合法的に尊厳死を選び家族の前で亡くなるという番組をやっていました。
この尊厳死に対して耐えきれない苦しみを感じたのですが、ALSのような過程をとる病気に対して尊厳死を選びとったその女性の気持ちも理解できないわけでもありません。が、どうしても苦しい気持ちが残っていました。
昨日の朝日新聞の宗教家の投稿文で僕の不安が吹き飛びます。
この尊厳死のNHKの番組を紹介した上で その宗教家の筆者は最後の最後に一文で自らの主張を強力に成し遂げます。
なぜその女性は絶食による死を選ばなかったのか と
僕はたくさんの死を見てきましたが、亡くなる前に食は止まり人は眠りにつくように安らかに亡くなるのを見てきました。病気によっては苦痛を伴うこともありますが、治療ではなくペインコントロール 痛みのコントロールを行う事で安らかに最後の時を家族の方たちと過ごされていました。
宗教家の筆者が示された絶食による死は安らかにその方の生き方を終える方法で家族も緩やかに大切な最後の時を過ごすことができると思いました。ALSだけでなく癌や多くの病気でも安らかにその時を迎えることができると思います。
医療も最後の時に無駄に延命措置を施すことでよりご本人を苦しめることに。
もちろん個人の選択により選ぶことができる事が必要だと思います。
僕は今でも宗教的思想に共感できない事が多いのですが、仏教でも示された絶食による眠るように安らかにその時を迎える考え方は、人の心を穏やかにさせてくれる心の平安をもたらす大きな成果だと思いました。
先日京都の東山を八坂神社から清水まで歩きましたが、そこにその片鱗はなかったものの、欲を捨て食欲すら捨て去ることで心の平安を得る事ができると思えたのはとても大きな収穫でした。
今でも僕は宗教に入り込むことはあり得ませんが‥